宝塚花組「不滅の棘」感想

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37. 宝塚花組「不滅の棘」感想

ユーザ名: 金子
日時: 2003/3/23(11:04)

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「不滅の棘」
宝塚花組 シアター・ドラマシティ公演
観劇日:3月19日
    昼 19列26(ビデオ収録回)
    夜 10列27

ロマンス「不滅の棘」
脚本・演出:木村信司
原作:カレル・チャペック
翻訳:田才益夫(八月舎刊「マクロプロス事件」より)

<解説>
 チェコの代表的な作家カレル・チャペックの戯曲「マクロプロス事件」の舞台化。この戯曲はチェコの作曲家ヤナーチェクによってオペラ化もされているが、今回は主人公をヒーロー(男役)に置き換え、新たな脚本で舞台化。
 人間は必ず死ぬ運命にある。もし永遠の命を与えられてしまったら・・・・・価値は、倫理は、そして愛は?永遠の命を与えられた主人公は、虚無的な行動で波乱を巻き起こしていく。絶望の果てに生きる彼にとって、善とは、悪とは何なのか?そして愛とは何なのかを問う作品。
 春野寿美礼、ふづき美世の花組新トップコンビ披露公演となる。(ちらしより)

<メインキャスト>
エロール・マックスウェル(公演の為、プラハに滞在中の有名歌手)/
エリイ・マック・グレゴル(1816年ごろの宮廷のお抱え歌手)/
エリイ・マクロプロス: 春野寿美礼

フリーダ・グレゴル(百年前から続く「グレゴル事件」裁判の原告)/
フリーダ・ブルス(男爵令嬢。エリイと愛しあう。1825年に死亡):
 ふづき美世

アルベルト(弁護士コナルティの息子):瀬奈じゅん
ハンス(タチアナの息子):彩吹真央
コナルティ(「グレゴル事件」裁判の弁護人):夏美じゅん
タチアナ(ブルス男爵未亡人。フリーダの訴訟相手):梨花ますみ
カメリア(エロールをかつての恋人と思い込む老女):翔つかさ
クリスティーナ(タチアナの娘):遠野あすか

<感想>
「人間にも『賞味期限』が必要です」
 
 2回目に観ていて、「まあ、チェコ版ドラキュラのような話だな」と思ったが、ドラキュラはルーマニアの伝説で(年末月組でやるのだった)、主人公はドラキュラとは以下のような点が違う。
〔1〕300年以上生きているが、「絶対死なない」のではない。薬の効果が切れれば、処方箋から作って薬を飲まないと、砂にかえってしまう。
〔2〕時代に合わせて身分やライフスタイルを変えることが出来る。特に歌が上手いことを上手く使って、職を得る。
〔3〕ドラキュラのように血を求めての「女あさり」ではなく、「色魔」(「すみれコード」は大丈夫なのか、金子)で、自分のほうに寄ってくる女の人生をむちゃくちゃにしてしまう。
〔4〕自分が呪われた人生を生きていることに苦しんでいる。
〔5〕一人だけ(1816年のフリーダ)女性を愛し、子供ももうけた。しかし愛する彼女が自分のために姿を隠し、子供と3人で幸せな生活が送れなかったことに、いつも後悔の気持ちが絶えない。(=「不滅の棘」のタイトルはここからだろう。「不滅の愛」と後悔にさいなまれる「心の棘」)

 というような、少しドラキュラと設定を変えているが、「この世にありえないような話」という点では戯曲にしやすいし、宝塚にはすでにドラキュラは作品化されているのだから簡単に乗れる原作だったのではないか。ただ、1つだけ疑問だったのは、主人公は少年の時に薬を飲まされているのに、不老不死の時は青年になっていて、そのままで300年近くいられる、というのは宝塚的にはOKだが、理屈的には?である。
 ここで、原作、と書いたが、金子は読んでいない。その上で書くが、一幕については、訴訟の内容が夏美組長によって説明されてもあまりにも多くの人物が登場し、説明する時間も短いので、「えっ」という感じで最後に主人公が種明かしをするところまで分からずにすんでしまうのは難である。(金子の頭が悪いだけかもしれないが)やはり、スライドを使うとか(白が基調のセット、衣装なので)、物語のキーポイントなのでじっくり時間を使うべきだろう。それと、エロールは有名スターなのだから、もう1つぐらいショー場面があっても良かったのではないだろうか。もしくは、フィナーレをつけて欲しかった。
また、一幕ではそれぞれの人物の気持ちが多くは歌で歌われるのに(五重唱とか)、二幕にはいると台詞中心で物語が進んでいくので、正直同じ脚本家の手によるものと思えなかった。『ガラスの風景』の時に「台詞ばかりで内容を進めようとするのはミュージカルではない」と書いたが、反対も言えるのである。「肝心なところを歌ってばかりでは歌詞が100%解析できたとしても聞き取り、理解するのは大変だ」ということである。例えば、一幕の弁護士事務所のところでは、皆が歌い「ミュージカルの極意」をいっているのに、二幕の特にラストに近づくにつれ、台詞中心のストレートプレイになるのはアンバランスを感じた。それでも、これだけのテーマを持った原作に真正面から取り組んでいる姿勢は演出家の意気込みを感じた。同じ先生の『鳳凰伝』よりよかったと思う。

 しかし、一幕の最後のショーの場面で、主役が唇をぬぐって、口紅を手の甲を使って顔のほうに伸ばしてべったりとつける、という設定は、「俺は生きているぜ」という証拠を示す意味なのだろうが、少々趣味がよくないと思った。また、弁護士事務所のセットも劇団四季でやっていた『壁抜け男』とよく似ていて「あら」と思ってしまった。一方、上に書いたように白を基調としたすべての衣装はとても品がよかったし、歌曲も「フリーダ〜♪」で始まる主題歌は甘美で耳に残りやすいメロディーだった。どうしても2日時間が取れなかったので、1日に2回観てしまったのだが、かなりテーマの大きい作品をなかなかの完成度の高さで仕上げていたと思う。85点か。あとは人別に。
 
 春野寿美礼(オサ)。1603年に、知らずに父親に不老不死の薬の実験台にされてしまった少年、1816年に「自分は普通の人間と違うのだ。女性を愛してはならない」とストイックに生きようとするが、フリーダの愛を振り切れなかった青年、そして一番比重の多いのは1933年に「望もうと、望まなくともスター」の2枚目有名歌手、とバラエティに富んでいるのでオサファンでなくとも満足できる設定だ。特に最後のエロールは自信たっぷりの2枚目で、前作『エリザベート』で黄泉の国では帝王だが、人間に対しては不器用な対応しか出来ないトート像を作り出した春野にものたりなさを感じた方には、「そうよ!これこそオサさんよ!バリバリの男役!」という感じで、オサファンでもない金子でも、「はー、春野さん、アンタは格好いいよ」と一発くらった感じであった。この人の一番いいところは、勿論歌であるが、その中でも、このキャリアでも裏声がでるのが素晴らしい。だから、ショー場面では、女装(?)から、スーツ姿へのチェンジ、というのが難なく出来るのだ。また、感情表現でも最後のフリーダを愛していて、唯一彼女だけとは子供をもうけた、3人で普通の家族生活を送りたかった、と心情を吐露する場面でも、ビデオ収録でない夜の部のほうでは涙がでていて、「スケールの大きなトップスター」を感じずにはいられなかった。宝塚歌劇90周年の顔は、先にトップになった紫吹でも、和央でもなく、VIVAカードのイメージレディでもある春野ではないかとすら思ってしまった。(自分は誰のファンだよ・・・・)もう、「向かうところ敵なし」状態である。

 ふづき美世(ふーちゃん)。1816年にエリイに不滅の愛をささげる男爵令嬢と、1933年の「お金がすべて」から、エロールを愛するようになる女性を危なげなく演じていた。新人公演時代を知らないし、どうしても同期舞風りらの影に隠れていた感もあって、どこまでやれるか興味津々であったが、なかなかの実力があると踏んだ。問題は歌だが、歌詞を丁寧に歌っているのはよく分かるが、もう少し顔の表情と同様に、感情のひだみたいなものがメロディーにのるとよくなると思う。トップ娘役は抜擢もいいが、やはりすぐ使える人材、というのはある程度のキャリアを踏んだ後まで待った方がいい、という好例だ。大劇場では、ダンスも含めて頑張って欲しい。

 弁護士助手アルベルトの瀬奈じゅん(あさこ)。人に甘い父親に対して、冷静で理路整然としていて、ニヒリストとまでいかないが人を疑うこともするが、フリーダに対して愛しているという純粋な思いをもつ青年である。二番手がするには、楽すぎる役のような気がするが、正統派にきちんと演じていた。今回は、最後にエロールを追い詰めるところでの台詞の明瞭さが収穫だった。歌は安定しているので、1曲でなくとももう1曲、と思ったが、今回は仕方がないか。大劇場のショーで聴かせてもらおう。

 ハンスの彩吹真央(ゆみこ)。これもまた、ひたすら飲んだくれの役で、しどころといっても、妹の死は母のせいだ、と告げるところぐらいで、印象としては、長いこと舞台に寝てたな〜、というぐらいしか残らない。なんとも書きようがないので、また次回とさせていただく。

 コナルティの夏美よう(ハッチさん)。ゾフィー様も威厳があっていいが、こういう普通の脇を渋く、しっかりしめる役のほうが安心して観ていられる。特に訴訟の内容をエロールに説明するところなどは、込み入った話なのでハッチさん以外では難しいだろう。安心して観ていられるのはさすが組長だ。

 タチアナの梨花ますみ(みとちゃん)。金満家で自堕落で、その上娘の恋人まで奪って自殺に追い込んでしまう、という悪女だが、正直今まであまり演技派というイメージがなかっただけに、新鮮だった。始めの出から、倦怠感が漂っていて、エロールに「私は結婚してとは言わないけれど」と言うところまでさすがキャリアがものをいった。副組長なのだから、もっともっといろんな女の役が回ってきても当然だが、これだけ大きい役、というのは初めて観る気がした。これからも、専科からの応援を頼まなくても十分大人の女の役は任せたらいいだろう。

 カメリアの翔つかさ(つう)。かつての主人公を愛した老女だが、よく見ると手の血管まで書いてあって、老女の若いときの夢が戻ったところをよく表現していた。また、歌がここのところだけスパニッシュなのだが、主人公が誉めるように艶のある声で「夢再び」というのがよく理解できた。こういう上級生で実力のある人を粗末にしていては宝塚としてはいけないと思う。やはり残って、芝居に厚みを加えてもらわなければいけない。

 クリスティーナの遠野あすか(あすか)。1933年のエロールに純真な愛をささげるが、彼は母親の方に行ってしまうので、絶望のあまり川に飛び込んで自殺するお嬢様だが、もうこんな役は彼女にとっては「赤子の手をひねる」くらい簡単だろうし、誠実に演じていて、言うことはない。歌も透明感があって令嬢によくあっていた。

 と色々書いてきたが、このミュージカルは「初めに春野ありき」の感がするので、あまり春野以外の人については書けなかった。こんなところでおわる。


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